愛とは、一般的に言われることは“無償の奉仕”ですが、
実はそれを通じて“自分を探している”というのです。
例えば、子供は親のしぐさを真似ます。それを親が見て
どう思うか?
愛しい相手の中に“自分”を見出したとき、不思議な
一体感があるはずです。
まったくタイプの違うカップルであっても、このような
“シンクロ”というか、相手の中に“なりあまれる・
なりたらぬ”自分が存在していることがわかるはずです。
だから、自分を労わるように相手を労わることができる。
ケンカする、仲直りする、叱責する、褒める、嫌いになる、
好きになる…実は全て相手の中にある“自分”に対して
行っているのです。
また、無関心になる相手とは、“自分をその中に見つける
ことができない”人なのです。
私達はほとんど確信がないまま盲目的に相手を選びます。
しかし、自分を見出すことのできない相手と縁が繋がることはないのです。
愛の終わりは、両方か、片方かが自分を“見失ってしまっ
た”時に起こります。
だから、あの人でもない、この人でもないと考えず、
あの人、この人の中にも自分が存在すると考えれば、
誰それと縁があって結びついたとき自分を引き出すことが
できるのではないでしょうか?
相手を高めることは自分を高めることでもある…
それが愛だと思います。